宮崎に着いて、改札を通りぬけ、また一番線に向かうために、今度は周遊券を見せて通過した。1番線には、旧急行型の気動車キハ28系が止まっていた。かなりボロい。ワンボックスに1人と言う状態であった。ホームでは、サラリーマンらが新聞などを読んで立っていた。次の電車を見ると、「特急ひゅうが・延岡行き」の案内が…。なるほどと思った。確か、ハイパーサルーンだったような気がしたが…。と考えているうちに、6時52分、日南線の志布志行きは、発車となった。
やはり、気動車で加速は遅かった。ハイパーサルーンの後だから、なおさらである。南宮崎駅に着くと、先ほど発車していった、「ドリームにちりん」が道草をくっていた。ここで、ドリームにちりんから乗り換えた乗客で、ワンボックスに2人程度の乗車率となった。ここで、停車時間が3分あったので、飲料を買った。ここで、最大の乗車率となった。
南宮崎を出ると、南の方角へ向かう。すると、田吉駅に到着。ここは、1面2線の駅であった。すぐに発車すると、電化された路線が分岐して離れていった。宮崎空港線であった。目の前には、空港がすでに見えていた。高架を上ると、駅であろう。駅までは、見えなかった。運動公園、子供の国駅など、レジャーランドが目の前にある駅に停車していく。しかし、どこも無人駅であった。7時23分、青島駅に到着。でも、目の前に青島が見えるわけではなく、ただ大きな無人駅と言う感じであった。ここまできても、海沿いを走らなかった。このときに、日南線は、あまり海沿いを走らないのではないかと言う感じになってきた。
青島を出て、内海駅を過ぎると、一気に海岸に出た。ここで、初めて海沿いに来たのである。少し感動をした。でも、それは長く続かず、伊比井駅から北郷駅間は、一気に山深くなり、トンネルの長さも半端な長さではなかった。飫肥駅に着くと、かなりの下車客があった。ここで、やっと有人駅に出会えたのであった。
ちょうど中間点の油津駅に到着した。ここで、全員が降りてしまった。ここで、行き違い列車もないのに、約13分停車した。小休憩と言うような感じの停車時間であった。油津を出ると、また海が登場してきた。2度目の海である。乗客が全くなく、1両貸し切りの状態であった。でも、海が見えるのもつかの間、南郷駅に来ると、また海が見えなくなった。そして、山間部の方に入っていった。串間駅が、有人駅最後の駅であった。ここまでくると、ずいぶん来たと言う感じになってきた。串間を出て、しばらく進むと、駅名が大隅とつくようになった。鹿児島県に入った証拠である。そのあたりにくると、最後のハイライトなのか、海がはっきりと見えるようになった。
9時38分、終点の志布志駅に到着した。志布志駅を見ると、1面しかホームがないが、駅構内の広さに驚いた。昔の繁栄が思い出された。でも、かなり整理されたというから、昔は、もっと広くて繁栄していたのだろう。今の姿は、あまりにもこれは、ひどい…と言う感じであった。廃虚化といったほうがよさそうだ…
次の折り返しの発車時間まで1時間近くあったため、駅前を散策する事にした。近くには、スーパーがあり、開店前の準備にあわただしかった。少し歩くと、鉄道公園を発見した。旧型ディーゼルカーとC58蒸気機関車、腕機信号があった。そして、大隈線と志布志線のことも少し書いてあった。
しばらく過ごした後、駅に戻って、列車に乗りこみ、発車までの間、待つことにした。
志布志駅からは、意外にも乗りこむ客が多かった。
10時32分、何の合図もなく発車。すぐに海が見えるようになった。行きにしっかりと景色を見ていたため、少し堕落をしてしまい、いいかげんに景色を眺めていた。有人駅になっている主要駅では、かなりの乗降が激しく感じられたが、混雑する事はなかった。快適なローカル線の旅が出来た。
青島駅に着くと、反対列車では、車内販売みたいなのが、行われていた。どうやら、青島名物のういろうの車内販売であったが、こっちの車両にも来るのかな…と期待していたが、こちらには来なかった。来ていれば、購入していたのに…と思いながら。でも、すぐに発車したのを見ると、こっちに来る気配がなかったような気がしたが…。13時03分、宮崎駅に到着した。長かったローカル線の旅であった。
すぐに改札を通過して、反対のホームに行き、「にちりんシーガイア」を待つ事にした。13時10分発であったが、少し遅れて到着した。もちろん、ほとんどの乗客がここで降りた。車内の自動放送も、ここから、自由席は乗車券だけで利用できます。と案内していた。すぐに発車した。もちろん、自由席に座る。無人であったが、デッキでは車内販売の人が片付けをしていた。南宮崎に到着した。ここで、車内販売の人は、降りた。というより片付ける品を外へ出したと、言ったほうが早い。ここで、7分ほど停車した。片付けの時間のためであろう。しかし、えらく長く感じてしまった。定刻通り、南宮崎を離れた。田吉駅を過ぎて、すぐに高架を上がると、もう宮崎空港駅であった。13時25分に到着した。
空港に着いても、やる事がなかったので、待合室で、改札が始まるまで待つことにした。14時になって、改札が始まったが、誰も、行く人がいなかった。すぐにハイパーサルーンの一番前の喫煙自由席をとった。誰もいないために、余裕で一番前の席を確保する。発車間近になって、ようやく乗りこみが確認された。しかし、やはり空港からは混雑する事がなかった。14時20分定刻通り発車した。
一番前に座ったため、運転手の動きや速度がはっきりとわかった。線型は、そんなに良くなく、100キロは出していなかった。南宮崎では、すぐに運転手が交代した。早いものである。あまり乗る人は見かけなかった。すぐに発車。15時30分。宮崎に到着した。やはり、たくさんの人が列を作っていた。自由席も、ほぼ埋まった。といっても、2人席だから、それを1人で座って、それで埋まったと言う事で、乗車率は、半分程度であった。宮崎を出ると、一気にスピードが上がった。110キロまでだった。今までが、気動車でスロースピードのため、110キロでもかなり速く感じた。佐土原、高鍋、と乗りこんでくる客は少なかった。高鍋を過ぎて、都濃駅近くになると、旧リニア実験線が見えるようになった。今回は、先頭だったので、カメラに収める事が出来た。
約1時間で延岡に到着した。ここから、グリーン車へ移動する。そのうち、半数がこの延岡で降りた。一番前から、一番後ろへの大移動である。自由席を過ぎたところで発車した。やはりかなり空いていた。流動が悪い事が証明されている。グリーン車は、3人しかいなかった。今回も一人席を選んだ。一人旅では、一人席が一番良い。
しかし、大分を過ぎた辺りから、急に疲労感が出てきた。今までの疲れが徐々に現れてきた。寒気を覚えたため、車内販売から、熱いものを頼む。しかし、無料であるため、2杯もおかわりをした。そして、コンセントがあったため、最後の携帯電話の充電も、ここで済ました。「にちりんシーガイア」の旅の距離は長かったが、不思議と時間は長くは感じなかった。19時05分、小倉に到着した。
19時18分発のレールスターに乗るために、急いで、駅弁を購入した。レールスターに乗るからレールスター弁当を購入した。ホームで待っていると、すぐに0系「こだま」が発車していった。すると、すぐに「ひかりレールスター」が到着した。700系は、すでに乗っているから、外見は、驚きはなかった。しかし、車内に入ると…。やはり違っていた。サイレンスカーしか指定席は取れなかったが、中の座席に驚いた。オレンジ色の照明、まるでグリーン車かと思う座席…。リクライニングもかなり倒れた。これは、某国鉄のグリーン車よりもかなり快適であった。これが、510円余分に払うだけで、乗れるから、大きな価値がある。
小倉を出ると、すぐに関門トンネルへ突入。トンネル内であっという間に250キロは、超えていただろう。トンネルを出ると、新下関を通過した。あっという間に、九州を離れてしまったのである。案内放送もないので、すごく静かであった。車端部にある、電光板を見たかったが、かなり離れていたため、良く読めなかったが、きっと、285キロで走行中という表示を何度も流していた事だろう。
19時37分、小郡に到着した。やはりかなりの列があった。レールスター人気が伺える。すぐに発車した。広島、岡山では、かなり混んでくる事を予想し、車内販売が来た時に、速攻で購入しようと思ったものがあった。車内販売も、何も言わずに通り過ぎていく事が分かった。私語禁止のような雰囲気の車両である。車内販売では、キーホルダーと人形と、携帯ストラップを購入した。
20時10分、広島に到着した。すごい量の人がいた。ここで、通路側の席に乗客が来た。先に車内販売で購入をして正解であった。岡山でも、かなりの人がいた。ここで、指定席は、ほぼ満席となった。やはり人気が高いのか、車両数が少ないのか?多分車両数が少ない方が当たっているかもしれない。
21時45分、終点の新大阪に到着した。やはり、終点のときだけ、放送が流れた。かなりの人がいたため、階段を降りるのにも大変であったし、折り返しのレールスターになるため、すでに先客がたくさん列を作っていたのも原因であるが…すぐに、名古屋行きの最終のこだまのホームへ向かった。
ふちのホームから、ふちのホームへの移動はかなり参ってしまう。待っていたのは、100系の「こだま」であった。グリーン車以外は、全て自由席であった。そのため、7両目の禁煙自由席に座ることにした。乗客は少なかったが、発車時間が近づくと、やはり乗りこんできた。100系も座席幅が広く、快適であった。しかし、疲れがピークにきて、ダウン寸前になっていた。
21時54分定刻通りはなれた。やはり、700系と比べると、スピードは遅い。こだまだから、220キロくらいで、頭打ちとなっているであろう。京都で6分停車した。名古屋行きの最終の「のぞみ」の退避である。京都駅も閑散としていた。これが、本当の最終列車である。京都で、かなりの乗客が降りた。のぞみから乗り換えてくる乗客は多くはなかった。定刻通り、本当の最終の「こだま」が発車した。乗車率は、半分程度であった。
22時39分、米原に到着した。ここで、また半数の乗客が降りた。理由は、北陸本線乗換えがほとんどであろう。最終の「加越」に接続しているからである。乗りこんでくる客は全くなかった。京都から米原まではかなり駅間があるみたいであった。ワンボックスを1人でも十分出来る状態の乗車率になっていた。だんだん距離感が短くなる感じである。岐阜羽島に、22時57分に到着。しかし、数人の乗客が乗ってきた。これには、びっくりであったが、名古屋へ行くには、ここからだと、名鉄はないのであろう。納得するも、もったいない感じである。そこから、約10分で終点の名古屋に到着した。降りた乗客は、大阪に比べ、ガラガラであった。
しかし、こだまの旅は、疲れが一気に来た。正直、長く感じてしまった。普段ならこんな事を感じなかったが、やはり、3連続夜行に睡眠時間は、5時間以下というのも続いていたから、仕方がない事であろう。しかし、充実した旅であった。これで、九州は、指宿枕崎線と長崎線の旧(非電化)線だけとなった。まもなく、九州全線制覇が来るであろう。
次は、新幹線が開業する前で、つばめのビュッフェが残っているときに、もう一度、本当に最後のお別れ乗車と九州全線制覇をしてみたいものであった。